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What happened to my brain? 高次脳機能障害のおやぢから
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地元新聞紙(北日本新聞)にて「脳外傷友の会 高志」の会員さんの様子が
「生きる力」と題する連載特集に3日間に渡って掲載されました。

-------以下引用--------------------------------------------------------

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※歌を披露する同級生をうれしそうに見つめる賢司君と、手を握る母の美絵さん
 04年3月、砺波総合病院

15.交通事故/級友の歌で意識戻る
   2011年5月10日掲載

 
歌を披露する同級生をうれしそうに見つめる賢司君と、手を握る母の美絵さん=04年3月、砺波総合病院
 高岡市福岡町下老子の大野賢司君(16)の自宅に、相撲大会の活躍をたたえる賞状が何枚も飾られている。その中の1枚が「埴生地区チビッコ相撲大会個人の部2年 優勝」。活発でスポーツが大好きだった賢司君は、この賞状をもらった2週間後、自宅近くで乗用車にはねられた。

 夏休みが始まって間もない2003年7月28日の夕暮れ時だった。小矢部市石動小学校2年だった賢司君は、児童クラブの活動で、野球に似たスポーツ「ティーボール」の練習を終え、友人と歩いて帰る途中、交通事故に遭った。

 3人目を身ごもっていた母の美絵さん(43)は大きなおなかを抱え、現場に駆け付けた。救急車に乗せられる長男の姿を見て、「練習に行かせなければ良かった」と悔やんだ。

 頭を強く打った賢司君は砺波総合病院の集中治療室(ICU)に運ばれたが、意識不明の重体。一命は取り留めたものの、脳に重い後遺症が残った。家族の呼び掛けに応えられず、時々動く眼球も焦点は定まらなかった。

 「何かのきっかけで元に戻ってくれるかも」。美絵さんと夫の賢了さん(48)は望みを持ち続けた。ICUの面会は家族でも一日3回と限られた。「けんちゃん、早く起きて」と呼び掛ける家族の録音した声や、よく聞いていたポップスやクラシック音楽を病室に流してもらい、希望をつないだ。

 口から食べることができないため、鼻から入れた管を通して栄養を取った。「ずっとこのままかもしれません」。医師の言葉に、事故の2カ月後に産んだ長女、日和(ひより)ちゃんを抱えて病室に通い続けた美絵さんは絶望的な気持ちになった。

 賢司君の状態に変化のないまま7カ月が過ぎた04年3月、“奇跡”が起きた。

 病床の賢司君を元気づけようと、見舞いに訪れたクラスメート30人が病棟の食堂に2列に並び、元気よく合唱していた時だった。車椅子の賢司君が「うー」とうなるような声を出した。「あー、あー」。歌に合わせるように、うれしそうに大きな口を開ける。事故に遭ってから声を出したり、感情を表したりしたのは初めてだった。同級生が歌う姿をじっと見つめていた。

 「けんちゃんが声を出した!」「一緒に歌っているよ」。そばで見守っていた医師や看護師は驚きの声を上げた。美絵さんは涙を流しながら、賢治君の手をぎゅっと握り、何度も頭をなでた。

 この日以来、賢司君は少しずつ回復した。よく声を出し、ベッドの周りに飾られたおもちゃに手を伸ばすようになった。とろみを付けた食事から少しずつ口にし、7月に退院するころにはカレーライスや卵焼きを食べるようになった。

 05年春、大野さん一家は、高岡市こまどり養護学校(現こまどり支援学校)に転校した賢司君のため、同市福岡町にバリアフリーの家を新築した。

 一家が生活に落ち着きを取り戻したのは事故から3年後。賢司君は両親を「お父さん」「お母さん」と呼べるようになるなど、一歩ずつ前へ進んだ。

 

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※自宅の居間で音楽を聴く賢司君と母の美絵さん

16.リハビリ/少ない機会に焦り
   2011年5月11日掲載

 高岡市福岡町下老子の大野美絵さん(43)は、交通事故で昏睡状態に陥った長男の賢司君(16)が回復の兆しを見せてから、「元の状態に戻してあげたい」と必死でリハビリを支えた。

 「目を覚ましてほしい」。事故直後のささやかな願いは、できることが増えるたびに「話せるようになれば」「次は歩けるように」と目標が変わっていった。「いつか障害を克服できる」と信じていた。

 美絵さんの心境が変化したのは、事故から3年後の2006年のことだ。県内の患者や家族でつくる脳外傷友の会「高志」に入会し、「高次脳機能障害」という言葉を知った。

 高次脳機能障害は、交通事故や脳血管障害、脳炎で脳が損傷を受けたことによる後遺症で、物を覚える、集中するといった人間が持つ高度な機能に障害が生じる。美絵さんは、片言しか話せない賢司君が、いずれこの障害と向き合っていくことになるだろうと感じた。

 高次脳機能障害について書かれた本を読んだり、重い障害のある子どもの親と話すうちに、美絵さんは「もう元の賢司には戻らないんだ」と現実を受け入れるようになった。元気なころと比べて嘆いてばかりいたが、リハビリでできることを増やしていく方が息子のためになる、と気持ちを切り替えた。

 美絵さんの思いとは反対に、リハビリの回数は減った。養護学校(現特別支援学校)の授業の一環として、隣の訓練施設で受けるリハビリは当初の週3回から2回、病院でも週2回から1回になった。いずれも患者が増えたためだと訓練施設や病院から聞いたが、もどかしかった。より充実したリハビリを受けられないかと病院をやめて射水市の医院に頼んだものの、週1回受け入れてもらうのがやっと。高齢の患者に交じって訓練を受ける息子の姿に、「子どもを受け入れてくれる施設はこんなにも少ないのか」と痛感した。

 情報を得たい一心で、06年秋、脳外傷友の会の全国大会に参加した。他県の会員から、脳損傷を受けた子どもの治療を専門的に行う神奈川リハビリテーション病院の存在を聞き、賢司君を入院させた。

 1カ月半の入院中、一人一人の障害に応じた訓練計画を立て、理学療法士や言語聴覚士らがチームできめ細かく対応してくれた。言語の理解力や語彙(ごい)力、生活能力などの評価も受けられた。賢司君の現状や課題を知ることができ、一歩前に進んだ気がした。

 医療の進歩で、昔なら助からなかった人も救命されるようになった。その一方、脳に障害が残った子どもに専門的な治療、訓練を行う病院は少ない。美絵さんは神奈川のような病院がもっと増えてほしいと願う。

 事故から8年。右半身まひのため車椅子で生活する賢司君は学校から帰宅後、音楽を聴いたり、読書したりして過ごす。言葉は聞き取りにくいものの、意思の疎通に問題はない。

 弟と妹がけんかすれば、「仲良くしろ」と注意し、兄らしい一面を見せる。遠出した時に、美絵さんが車の運転に疲れた表情を見せると、「うちに帰ったら肩をもんであげる」と気遣うようにもなった。

 親に頼らず、少しでも自分のことを自分でできるようになってほしい。自立を願う美絵さんはこの春、ある決断をした。 



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高志学園の自室で過ごす賢司君。同部屋の生徒をだじゃれで笑わせるのが得意だ

17.16歳の挑戦/親元を離れて生活
   2011年5月12日掲載

 今年4月、大野賢司君(16)=高岡市福岡町下老子=は、高志支援学校高等部(富山市道正)に入学した。廊下でつながる高志学園で暮らし、学校に通う。親元を離れたのは初めてだ。

 賢司君にどこで高校生活を送らせようか、母の美絵さん(43)は悩んだ。これまで通り自宅から通える高岡市内の特別支援学校への進学も考えたが、最後の学校生活は自立への一歩を踏み出す機会にさせたかった。

 交通事故の後遺症で右半身がまひし、高次脳機能障害もある賢司君はすべての動作がゆっくり。歯ブラシを手に取り、コップに水をくむだけで人の何倍も時間がかかる。美絵さんは、中学生の次男と小学生の長女もいる朝の慌ただしさの中で、賢司君の着替えや歯磨きをつい手伝ってしまっていた。これまで親が手を掛けすぎたという反省もあった。

 高志学園は特別支援学校に通う児童、生徒が共同生活を通して社会性や生活習慣を身に付けながら治療や訓練を受ける場だ。親離れできるか不安はあったが、挑戦させたかった。自分一人でできない時には、助けを待つのではなく、「手伝ってください」と自分から周りに頼めるようになってほしい。

 「困った時には、周りの人に言わないと駄目だよ」「週末にならないと家に帰れないからね」。中学部の卒業式を終えてから、大野さん夫婦は賢司君に言い聞かせてきた。

 心配をよそに、賢司君は学園の生活に少しずつ溶け込んだ。事故に遭う前から変わらない明るい性格は、学園でも健在。同部屋の生徒に得意のだじゃれを言って笑わせ、授業を終えてから過ごすデイルームではおやつを食べながら職員とおしゃべりする。

 「週末しか家に帰れないけど、平気?」と美絵さんが聞いても、「大丈夫。おれのことを見てくれる人はたくさんおるから」と表情は明るい。賢司君なりに学園生活を楽しんでいるように見えた。まだ1カ月足らずだが、「ちょっと成長したのかな」と頼もしさを感じている。

 美絵さんは、同じ立場の母親たちと共に、高次脳機能障害のある子どもへの理解を深める活動も続けている。高次脳機能障害という言葉は知られてきたが、教育現場の理解はまだ十分ではないと感じる。この障害を知った上で、子どもたちを支えてほしいと、特別支援学校の教員に配ってもらうパンフレットを県教委に届けた。

 落ち着きがなかったり、集中できなかったりするのは障害の一つだ。「教員に知識がなければ『やる気がない』という言葉で片付けられてしまう。障害だと認めた上で、子どもたちの意欲を引き出してほしい」

 県高次脳機能障害支援センター(富山市下飯野)は昨年度から、特別支援学校の教員ら向けの勉強会を開き、理解を広めている。

 美絵さんは少しずつだが、支援の輪が広がってきていると実感する。仲間と共に、これからも地道な活動を続けていくつもりだ。

----------引用以上---------------------------------------------------------------------------

このシリーズではおやぢも関わっている難病ネットワークとやま
理事長や会員さん他多くの難病・障害者の方が紹介されています。

理事長(中川)のブログ「みさこのありがとう」はリンク先の
難病ネットワークとやまからでも行けますが
直リンクとしては↓

http://misakogogo.jugem.jp/

↑でもどうぞ。





 
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一歩ずつ♪
SP♪
この記事を読んで、程度の違いはありますが、息子の入院中を思い出しました。
最初は、ベッドの上で、頭を動かすこともできなかったのに、車椅子でトイレに行けるようになり、自分で、点滴のころころを引っ張って、歩いていけるようになり、乳幼児の頃の成長を、早送りで見ているようでした。
(事故当時は、小学4年生)

今年になって、こちらの、高次脳の若者の会に参加しています。
色々と、得る物が沢山あるみたいです。
2011/05/16(Mon)19:06:10 編集
Re:一歩ずつ♪
HN:沙織(父)
SP♪さん

現在でもそうですが、効果的な治療を受けられない中でのご苦労は大変なものだっとと思います。多分、沙織(母)も・・・

当事者本人も又、家族とは違う苦労や思いを重ねてきているのではありますが。
ただ、おやぢの場合は改善されてきているのか?非常に疑問ではありますが(^^;)

3月から先日まで何かと予定があってゆっくり休めずなんとなくだるい毎日を送っています。
行かなければそれでどうって事も無かったのでしょうが予定入れすぎでした。
反省の意味も込めて今後は暫くセーブ。御身第一で義理も欠きます。

>今年になって、こちらの、高次脳の若者の会に参加しています。
>色々と、得る物が沢山あるみたいです。

このブログでも紹介した方達と一緒かな?
やっぱり当事者同士でなければ理解し合えない事もあるので体が許せば積極的にと思います。

2011/05/17(Tue) 10:54
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