高岡市福岡町下老子の大野美絵さん(43)は、交通事故で昏睡状態に陥った長男の賢司君(16)が回復の兆しを見せてから、「元の状態に戻してあげたい」と必死でリハビリを支えた。
「目を覚ましてほしい」。事故直後のささやかな願いは、できることが増えるたびに「話せるようになれば」「次は歩けるように」と目標が変わっていった。「いつか障害を克服できる」と信じていた。
美絵さんの心境が変化したのは、事故から3年後の2006年のことだ。県内の患者や家族でつくる脳外傷友の会「高志」に入会し、「高次脳機能障害」という言葉を知った。
高次脳機能障害は、交通事故や脳血管障害、脳炎で脳が損傷を受けたことによる後遺症で、物を覚える、集中するといった人間が持つ高度な機能に障害が生じる。美絵さんは、片言しか話せない賢司君が、いずれこの障害と向き合っていくことになるだろうと感じた。
高次脳機能障害について書かれた本を読んだり、重い障害のある子どもの親と話すうちに、美絵さんは「もう元の賢司には戻らないんだ」と現実を受け入れるようになった。元気なころと比べて嘆いてばかりいたが、リハビリでできることを増やしていく方が息子のためになる、と気持ちを切り替えた。
美絵さんの思いとは反対に、リハビリの回数は減った。養護学校(現特別支援学校)の授業の一環として、隣の訓練施設で受けるリハビリは当初の週3回から2回、病院でも週2回から1回になった。いずれも患者が増えたためだと訓練施設や病院から聞いたが、もどかしかった。より充実したリハビリを受けられないかと病院をやめて射水市の医院に頼んだものの、週1回受け入れてもらうのがやっと。高齢の患者に交じって訓練を受ける息子の姿に、「子どもを受け入れてくれる施設はこんなにも少ないのか」と痛感した。
情報を得たい一心で、06年秋、脳外傷友の会の全国大会に参加した。他県の会員から、脳損傷を受けた子どもの治療を専門的に行う神奈川リハビリテーション病院の存在を聞き、賢司君を入院させた。
1カ月半の入院中、一人一人の障害に応じた訓練計画を立て、理学療法士や言語聴覚士らがチームできめ細かく対応してくれた。言語の理解力や語彙(ごい)力、生活能力などの評価も受けられた。賢司君の現状や課題を知ることができ、一歩前に進んだ気がした。
医療の進歩で、昔なら助からなかった人も救命されるようになった。その一方、脳に障害が残った子どもに専門的な治療、訓練を行う病院は少ない。美絵さんは神奈川のような病院がもっと増えてほしいと願う。
事故から8年。右半身まひのため車椅子で生活する賢司君は学校から帰宅後、音楽を聴いたり、読書したりして過ごす。言葉は聞き取りにくいものの、意思の疎通に問題はない。
弟と妹がけんかすれば、「仲良くしろ」と注意し、兄らしい一面を見せる。遠出した時に、美絵さんが車の運転に疲れた表情を見せると、「うちに帰ったら肩をもんであげる」と気遣うようにもなった。
親に頼らず、少しでも自分のことを自分でできるようになってほしい。自立を願う美絵さんはこの春、ある決断をした。
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高志学園の自室で過ごす賢司君。同部屋の生徒をだじゃれで笑わせるのが得意だ |
17.16歳の挑戦/親元を離れて生活
2011年5月12日掲載
今年4月、大野賢司君(16)=高岡市福岡町下老子=は、高志支援学校高等部(富山市道正)に入学した。廊下でつながる高志学園で暮らし、学校に通う。親元を離れたのは初めてだ。
賢司君にどこで高校生活を送らせようか、母の美絵さん(43)は悩んだ。これまで通り自宅から通える高岡市内の特別支援学校への進学も考えたが、最後の学校生活は自立への一歩を踏み出す機会にさせたかった。
交通事故の後遺症で右半身がまひし、高次脳機能障害もある賢司君はすべての動作がゆっくり。歯ブラシを手に取り、コップに水をくむだけで人の何倍も時間がかかる。美絵さんは、中学生の次男と小学生の長女もいる朝の慌ただしさの中で、賢司君の着替えや歯磨きをつい手伝ってしまっていた。これまで親が手を掛けすぎたという反省もあった。
高志学園は特別支援学校に通う児童、生徒が共同生活を通して社会性や生活習慣を身に付けながら治療や訓練を受ける場だ。親離れできるか不安はあったが、挑戦させたかった。自分一人でできない時には、助けを待つのではなく、「手伝ってください」と自分から周りに頼めるようになってほしい。
「困った時には、周りの人に言わないと駄目だよ」「週末にならないと家に帰れないからね」。中学部の卒業式を終えてから、大野さん夫婦は賢司君に言い聞かせてきた。
心配をよそに、賢司君は学園の生活に少しずつ溶け込んだ。事故に遭う前から変わらない明るい性格は、学園でも健在。同部屋の生徒に得意のだじゃれを言って笑わせ、授業を終えてから過ごすデイルームではおやつを食べながら職員とおしゃべりする。
「週末しか家に帰れないけど、平気?」と美絵さんが聞いても、「大丈夫。おれのことを見てくれる人はたくさんおるから」と表情は明るい。賢司君なりに学園生活を楽しんでいるように見えた。まだ1カ月足らずだが、「ちょっと成長したのかな」と頼もしさを感じている。
美絵さんは、同じ立場の母親たちと共に、高次脳機能障害のある子どもへの理解を深める活動も続けている。高次脳機能障害という言葉は知られてきたが、教育現場の理解はまだ十分ではないと感じる。この障害を知った上で、子どもたちを支えてほしいと、特別支援学校の教員に配ってもらうパンフレットを県教委に届けた。
落ち着きがなかったり、集中できなかったりするのは障害の一つだ。「教員に知識がなければ『やる気がない』という言葉で片付けられてしまう。障害だと認めた上で、子どもたちの意欲を引き出してほしい」
県高次脳機能障害支援センター(富山市下飯野)は昨年度から、特別支援学校の教員ら向けの勉強会を開き、理解を広めている。
美絵さんは少しずつだが、支援の輪が広がってきていると実感する。仲間と共に、これからも地道な活動を続けていくつもりだ。
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