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HN:沙織(父)
回想録:その6
退院して数ヶ月、頭の方は相変わらずですが・・・
それでも出来る事をポチポチやってみるかと
無気力な自分に活を入れて ”ファイト 一発
え~とまず、退院後に運転が出来そうだったので
家のまわりの道を(田舎なので田圃道)
妻を横に乗せて軽四で走ってみると何とかなりそう
特に怖いとも言われなかったので通院は自力で
あと、パソコンをさわってみると何とかOK
使い方が分からなくなっている事は無さそうで
Excelの関数も一部使えて一安心
因みに、救急搬送されたのはT市民病院で
自宅からは遠いので通院は自宅近くの
市立T総合病院へ(車で10分弱)
こちらでも特に治療らしい治療は無しで
定期的に頭のCTを採って様子を見るだけでした。
一人で行けたので家族に面倒かける事は無く
その点はラッキィーだったなか~と
で、自分で思い出すのは諦めたと書きましたが
家にいると家族のアルバムには目がいきますし
ブログなども書いてあったりメールも残っていたりして
近年の記録がパソコンにバッチリと
また、おばあちゃん(母親)や近所の幼なじみなどから
昔の事を妻が聞いてきてノートに記録しています。
それらを暇に飽かせて読んだり見たりして
時々思い出す自分の記憶と併せて
新しい自分史を心に刻んで行くのですが
そのうちに、何処までが新しい記憶で
自分が憶えていた記憶かごっちゃに
自分的にはこの辺は結構大切に思えて
何となく線引きをしたい気分なんですよ。
いわば本当の自分と作られた自分かな?
多分、他人にはどうでも良い事かも知れませんが・・・。
|事故から1年経った今では、何事もなかったように
|話すので(多少、作話も交えて)必要だったのですが
入院中や退院直後は生活自体に関して
それほどの困難は感じなかったのですが
数ヶ月して社会との交わりが増えてくると
出来ない事や使い方の分からない道具が
少しずつ出てきて自分では
あれっ
ちょっとショック
記憶と計算に関しては覚悟?していたのですが
それ以外は多少あっても問題なく生活できると
根拠のない自信があったのですよ
実際、上に書いたように車の運転も出来たし
パソコンもとりあえず不自由しないし
ハッキリ言ってこの2つは妻より出来ます
なのに・・・
事故から約半年経って市立T総合病院でのCTには
特に異常も無さそうなので通院する必要はないと
「生活する上で多少不便があってもそのうち良くなります」
と笑顔でバイバイをされちゃいました・・・